Friday, October 31, 2008

[廈門] ネット字典 "nciku"で物欲が・・・

「アー中国語、まったく進歩ないわねー」。ウェルネスセンターの姐姐、女医の理事長がまたアタシに向かって口にする。もう二年以上滞在しているのになんてザマだというわけだ。自分としては結構やるじゃない、と内心思っていてもまだいわれている。

今では町に出て会話で困ることはほとんどない。一寸面倒な話になれば話題を変えて事をすませてしまえばいい。それでもふとした拍子に中国語らしからぬ表現が出るらしい。マンションの保安員(ガードマン)、「あなたは台湾人?こっちの人と話し方が違うものね」。アタシは口元に微笑みを浮かべる。・・・ (続きを読む

Thursday, October 30, 2008

[廈門] 珈琲店の「老外」たち


・・・喫煙室は商談の場になっている。ラフな格好で声の大きい米国人がよく利用している。流暢に英語を話す中国人と細かい数字をつめている。昼間に姿を見せることが多いことから会社勤めには見えない。本国の会社の間に入って仲介フィービジネスか。時々かかってくる電話にむかって中国語で対応している。イントネーションに癖があるとはいえ、なかなかのものだ。・・・ (全文を読む

Wednesday, October 29, 2008

[廈門] 二人の"本郷義明"


もう十六年前のことになる。ある雑誌で東アジアのあれこれについて連載記事を書いた。そのなかに中国についての一文がある。ここでのキーワードは「中国の開放」。しかし今現在この文を読んで感じるのは「余計なお世話」。悠久の歴史を持つこの地は、外国人にとって一筋縄でいくものでない。ただただ「中華」の意味を知らしめされることになるのがオチだ。余計なお世話だが、その際の一文を再録。 ・・・ (続きを読む

Tuesday, October 28, 2008

[廈門] 悲喜相继-差益で珈琲をもう一杯!


・・・ 落ち込んでいたものの、それでもこの混乱は、ささやかな、本当にささやかな余剰をうんでくれた。異常な円高だ。もともと十月初めにこの地を離れる予定が延期され、予定外の人民元が必要になった。換金のため銀行に出向く。親切な窓口の女性、「今は国慶節の休日、個人の換金を止めています。もしどうしてもというなら、日本円はまず米ドルに換金、そのあと人民元に変えますが、あまりお勧めできません。来週初めまでお待ちするのがお得かと・・・」。日円→米ドル→ 人民元、これだけで6%以上の手数料が銀行の手元に渡ってしまう。 ・・・ (全文を読む

Monday, October 27, 2008

[廈門] 悲喜相継-旧租界の無人別荘


・・・夕食時、料理が出てくるまでの間、店のお嬢さんが雑誌でも何か見ますかと地元の新聞を持ってきた。一寸薄暗く、小さい新聞の文字は老眼鏡をもってしてもハッキリしない。それでも中文字までは読める。ある欄の写真に目が留まった。懐かしい。半年ほど前、シンさんと訪れた鼓浪嶼の町外れに建つ荒れ果てた別荘だった。シンさんと訪れた際に写した写真を引き出してみる。六十年代だろうか、門扉には時代のヒーローの名が描かれた一枚があった。 ・・・ (全文を読む

Sunday, October 26, 2008

[廈門] 悲喜相継-"アラビアンナイト"は学習書


・・・アタシは"アラビアンナイト"を読んだことがない。カジったことはあるものの、それも子供向けな説話を選んでできた映画や漫画ぐらいのものだ。全体のフレームを知らない。このところアラビアを話題にしていることもあり、知らないわけにはいかないだろうとあれこれ探ってみた。残念なことに、ウェッブからは、本一冊まるまる読むことができなかった。しかし、日本語のWikipediaに、説話の一部がレジュメされていた。

ひとつの説話がいくつもに分けられ、入れ子状態に話が進んだりしている面白い構成になっていた。それに、なんといってもアラブ世界の習俗が分かったような気がして、ホーホーそういうことかー、と得した気分になった。この本はアラブの学習書になる。・・・(全てを読む

Saturday, October 25, 2008

[廈門] 悲喜相継-一人の倒錯者


・・・アラブに関して知っている記憶をたどると、一人の西洋人に行き当たる。英国アラブ局情報部に属したT.E.ロレンス中尉。いわずと知れた「アラビアのロレンス」。彼はオクスフォード在学中から中近東に出向いていた。アラビア語を自在に操るいわゆるアラビア通である。英国情報局員としてオスマントルコをアラブの地から追い出すことに全力を挙げる。若かったアタシはこの映画に傾倒し、「中国のロレンス」になるんだとほざいていたこともあった。・・・(全部を読む

Thursday, October 23, 2008

[廈門] 悲喜相継-"Tamally Maak"


完全にアラビック・ミュージックにハマった。

"Baadima"などBuddha Barシリーズに収められている曲はいわゆるエキゾチック音楽。そのなかに収められているアラビア音楽はおおい。仏陀の説教を聴かせるもの、美しき自然の風景を背景に流れる環境音楽もあるが、アラビックは圧倒しているように見える。アタシはなじみの珈琲店のBGMを追っているうち、その中に入り込んでしまった。店に行くごとに新しい曲を手に入れ、そしてYouTubeを彷徨ってその虜になった。・・・ (続きを読む

Wednesday, October 22, 2008

[廈門] 悲喜相継-願わくば 花の下にて・・・


歌人・西行について詳しいことはまったくないものの、彼の晩年にしたためたこの歌を、なぜか好きだった。「・・・春死なん この如月の 望月のころ」。理解しているわけでない。ただ好きなのだ、気分が。花は桜で満月の夜に、なんと贅沢なこと。

相当昔の台湾映画「悲情城市」、劇中の時代は千九百四十年代末のこと。占領地から追い出される日本人の中に小学校の女性教師がいた。その父親は祖国に戻ることなく自殺を図る。遺品を整理しながら、日本教育を受けた台湾の若者が妹に語りかける。「・・・明治時代にひとりの乙女がいた。そして彼女は一番美しいときに自らの命を絶った。桜の花が散るように。・・・」なんて内容のシーンがあったが、日本人のアタシは日本にいてそんな話しを今まで聴いたことがない。監督か脚本家が昔、やはり日本教育を受けた年上の人から話を来たのかもしれない。・・・ (続きを読む

Monday, October 20, 2008

[廈門] 悲喜相継-訪問者


・・・姐姐がおいでになると手配には注意が必要だ。彼女、若きころから世界中を飛び回っているからあれこれ五月蝿い。中国にも何度か来ているというが、控えめに口にするのは「演奏中でも携帯で話しているからねー」と毛嫌いしていた。それが「行きたい行きたい!」。アタシが厦門に死す前にその姿を見ておきたくなったのだろうか。まあそれもよしである。商人の姿しか見えないここ厦門に、少しは文化的香りを運んでもらいたいものだ。・・・ (全て読む

Sunday, October 19, 2008

[廈門] 悲喜相继-老境 "Baadima"にシビれる


へんな妄想をしてしまった。もし映画俳優のアンソニー・クインが歌手だったらどんな歌いかたをしたんだろうかと。アクの強い顔つきと太い声の持ち主のメキシコ人。どこかの映画で、フェリーニだったかもしれない、大道芸人になってなんか声だしていたような気もするも、はるか昔のことで記憶は定かでない。しかしあの太く低い声でささやかれたら女性はたまらない気がするのだが。・・・(続きを読む

Wednesday, October 15, 2008

[廈門] 悲喜相继-人間ドック


このブログは一カ月のお休みをいただいた。いや勝手に休んでいた。あれこれ悲喜相继 [ bēi xǐ xiàng jì ・悲喜こもごも ] があり、なかなか気が入らない。体調も十分とはいえず、九月半ばにブログを投稿した後、こちらの人間ドックに入った。結果はべつにー、の一言で終わった。要は菜食主義であれば長生きするでしょうよ、と投資した五万円がどこかむなしく感じてしまうお話だ。・・・[続きを読む]