Friday, May 30, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 香港へ船の旅なぞどうだろう

目覚ましは目の前で工事中の重機が動き出す音、早朝六時半だ。バルコニーに出て軽くからだじゅうの関節を動かす。いたるところの継ぎ目がボキボキと音をたてる。真下の工事現場は無視し、国際埠頭、港、そして対岸がどの位モヤっているかでその日の天気を予想する。今日は雲が厚かった。雨季なのだ。……

Thursday, May 29, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 同安の造り酒屋

やはり田舎に住みたい、それも農村、村人の生活と共に過ごしてみたい。周りの人間は言う、危ないですよ外国人がそんな中にないったら、私の別荘を使ってください、日に一度連絡いただければ安心です。いや違うんだ、畑耕して……大丈夫です、庭は広いですから畑にしていただいても……。アタシのライフスタイルはなかなか理解してもらえない。…………

Monday, May 26, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] あまりにも美しすぎた……

アモイに足を踏み入れて間もなく二年を迎える。二年もいながら他の地を訪れたことがほとんどない。多くの友が聞く、なぜ桂林の奇景を見にいかない、武夷山は美しいぞ、西湖はどうだ……。時間がない、金がない、それ以上にその名前に興味をひかなかった。金を落として景観を見る気がしなかった。アタシはその地に根をおろして生活している様を見ているほうに興味がわくし、その中に入って行きたくなるタチなのだ。…………

Friday, May 23, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] あまりにも酷ごすぎる……

まるで戦場のようだ……

一週間前、解放軍、山間部に入り込み人命救助に明け暮れた。ウェッブには、彼らの必死な活動の様が紹介されていた。それにしても被害地は広大すぎる。解放軍五千人を投入したという。生き残った児童が兵士に感謝の手書きボードを差し出していた。・・・

Thursday, May 22, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 切断された回線

この期にネットに接続できない。昨日、床に就くときパソコンの電源を落とさず、ネットも繋ぎっ放しで寝込んだ。朝起きるとルーターのライトが消えていた。仕方がない、ではダイレクトにとLANケーブルを差すも信号は届いているようなのだが繋がらない。ルーターはホテルが用意していたもの。ホテルスタッフがやってきてあれこれいじりまくるが復旧の見込みなし。メールのチェックもサイト情報もスカイプでILCの情報も拾えない。こうなるとアタシはいささか焦る。日常の一部になっている行動が阻止される。それだけのことで右往左往し始めてしまう。・・・

Tuesday, May 20, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 黒白

黒白 ( hei1 bai3 )、[ 白黒、モノクローム ]昨日から四川電視台の報道スタジオ、照明を落とし、背景を暗くし(背後はコントロールルーム)、衣装は白黒、化粧も薄く、黒の衣服に白の布花を胸に差していた。以外と雰囲気出て、落ち付いて・・・。まさに悲劇の報道にふさわしい。

黒白 ( hei1 bai3 )、[ 白黒つけよう、どっちなんだ ] 昨日の「見知らぬ愛国者」を読んだシンさん、はやりの小説か映画みたいだといってきた。確かにアタシも韓国映画で執拗に追い続けられる女性の話を見たことがある。アタシはアタシで別の観点から推理してみる。・・・

Monday, May 19, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 見知らぬ愛国者

・現在午後二時二十八分。サイレンが鳴り響き、港の何十隻という大小なの船が霧笛を鳴らし始めた。テラスに出て黙祷する。

かなり前のこと、一年はたっていないが、真夜中に二三度ワンギリを受けたことがある。注意しなければと、ログから番号をアドレスに残しておいた。それからしばらくして夜中に再度その番号から電話がかかった。こちらの問いかけには一切答えず、ただただつたない英語で罵り続ける若い女性の声。そこでアドレスに名前を付けた。"Fucking Girl"。・・・

東アジアは「停看聴」:[廈門] 雨季は近い

・・・アモイの雨季は近い。夜、気温は下がるものの、湿気が体にまといつき始めた。間もなく本格的な夏だ。姐姐の招待を受け、夕食をごちそうになり、徒歩で帰宅を始めたが、戻るとシャツには汗が浸みこんでいた。部屋のクーラーを入れた。・・・

Sunday, May 18, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 廃墟の花嫁

成都市内からおよそ五十キロあまり北、ボウ州市、ここで婚礼の段取りが進められていた。地元の教会で新郎新婦は記念写真を撮り始める。午後二時のこと。撮影は進み、そして運命の時間を迎える・・・。

Saturday, May 17, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 役割は終わった

昨日、テレビのスイッチを入れなかった。被災地の大方の道路が復旧し、救援体制も整い、あらゆる面からの支援もなされるようになった。海外援助隊が現地を目指し、外国メディアも入り始め、報道は正確さを増していくだろう。地震発生後の混乱とも思える報道から五日、アタシなりの目で見てきたものを時間の流れの中でメモってきた。正確さを欠いていたかもしれないし、中途半端に中国語を理解していたかもしれない。全世界に正当な報道が始まった今、とりあえずアタシの役割は終わった。・・・

東アジアは「停看聴」:[廈門] あとは死者の数が予想を下回ることを願うのみ

・・・昨日は朝から夕方までテレビに貼りついていた。画面がひと段落ついたかと踏み、仕事に取りかかった。馴染みの珈琲店に出向き、今日は客が少なく、いても静かで、仕事ははかどった。おかげで日曜日翻訳依頼は一日早まった。・・・

Friday, May 16, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 四川衛星台と中央電視台

昨夜から四川衛星台のほか、中央電視台と二つのチャンネルを切り替えてみるようにした。中央電視台、流石に情報内容が厚かった。専門家を呼び、分析し、あらゆる方面からの情報提供がなされている。

Thursday, May 15, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 四日目

・・・一瞬山間の村落を上空から写した写真が画面に流れた。一面の緑のなかに民家が点在している。どの家の周りに白っぽいものが点在していたのは何なのか、屋根が落ちた証なのか。と目を凝らしたら、すぐに口元の色っぽい女性アナウンサーに切り替わってしまった。・・・

Wednesday, May 14, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 四川電視台

今回の地震報道を支えているのが四川電視台。震源地四川省の衛生テレビ局である。他の衛星テレビ局が通常番組の中での報道にとどまっているなか、地震報道をはじめて24時間体制休みなし。地元だから当然だろうが、四川電視台頑張っている。それに救援と報道の公平性みたいなもの、漢族と少数民族の差が感じられず、いやそんな余裕もないのだろうが、よかったのかなと。・・・

Tuesday, May 13, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 四川省のスカイプの友

朝からテレビを開け放している。四川衛星テレビ局は地震関連報道を切れ目なく続けている。中国MSNの主頁には、リアルタイムで亡くなられた方の人数をのせている。当地朝十時現在で9219名が亡くなられたという。地震情報で、アモイに聖火がやってきたニュースは片隅に追いやられていた。四川省のチベット少数民族自治区で地震が発生したことも皮肉だ・・・。

Saturday, May 10, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] Cafe Javaromas

・・・この店は居心地がいい。落ち着くのだ。ゆったりとした椅子と騒がしくない客たち。いつまで粘っても文句ひとつ言わない店員。無線ランは無料だし(このあたりの店は皆LANサービスを用意している)、みなパソコンを持ち込んでいじくっている。バックグラウンドに流れるサウンドは、古き良きポップス。耳に心地よい。一人ボケっとしていると、英語・ドイツ語・伊太利語・西班牙語、亜剌比亜語に聞きなれない東欧系、韓国語に時には日本語すらも聞こえてくる。・・・

Friday, May 09, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] jazzy!いや華やかなのだ

この街を歩いていると、若い女性のファッションに目が向いてしまう。おーそこまでやるかー、めちゃくちゃとも思える着重ね、あふれる色、刺繍しまくりのG パン、そして穴だらけ、かつへそから下へ日々下がり、いまや十センチ以上。いやいや華やかかつ大胆なのだ。花不垃圾、[花 hua][不 bu][土+立 la][土+及 ji]。はやり言葉である。当然若者にしかわからない。色とりどりの衣装、小物などの様を指すらしい。中国語の若き教師が教えてくれた。・・・

Thursday, May 08, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 先のことなぞ・・・

二年前、アモイに初めて足を踏み入れた時、元ボスが昼飯に連れて行ってくれた。羊肉面(簡体字で麺は「面」と記す)。出汁の濃厚な味と羊の肉とがよくあった美味な麺であった。八元、路地裏の麺が三元、高級麺である。一年ほどたち、価格は十二元に跳ね上がった。そして今年、さらに三元上乗せされ、十五元にまで高騰した。悪いことに、だし汁は薄味になり、羊肉の風味が薄まっていた。なぜだ、と聞いてみると、客の好みに合わせたという。うそだろー、原価を下げただけだ。・・・

Wednesday, May 07, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 聖火が町にやってくる

・・・オリンピックは政治なのか純スポーツなのか、まあどちらもだろう。東京だってそうだったし、ソウルだってそうだった。ヒットラーは純粋に国策を謳っていた。ここが違うなんてだれも思っていやしない。そもそも夏のオリンピックなぞ興味を持ったことがなかった。今回もそうだ、ったのだが、聖火が香港に到着するや否や、テレビと新聞は今までの苦渋の報道から解放されてか、連日連夜聖火報道でにぎわっている。否が応でも耳にし、目にすることとなった。・・・