Saturday, September 30, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・115日] 戻る?留まる?

・・・元ボスに呼ばれてこちらにやってきた台湾の連中は不明瞭な給与体系にうんざりしている。金の件になると彼らの主張は力強くなる。GM同士仲が悪くても、この件では一致して上の人間にあたっている。すばらしい。なかには台湾に戻った方がどれほどいいかと私に口をとんがらせて話してくるものもいる。国に戻るか留まるか、決断しなければならない日が近づいている。・・・

Friday, September 29, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・114日] 博餅( bo2 bing3 )

このところ廈門の夜は独特の賑わいで華やいでいる。量販店で飛ぶように売れているのが家庭用品やら日常雑貨品。それも大量に購入している。これらの品々が会社やレストランなどに運び込まれ、さいころの出目で勝負を競う「博餅( bo2 bing3 )」という遊びの景品となる。・・・

Thursday, September 28, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・113日] 車社会へ

・・・日ごと車の台数が増える廈門市内、おかげで出勤時間の渋滞の列が日々長くなっている。初めてここを訪れてから僅か半年、目に見えて厳しさは増している。ついに車社会になってしまったようだ。廈門市内では一日に五百台車が増えていると運ちゃんが話していた。小さな島でこの数、驚くべきことだ。・・・

Tuesday, September 26, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・111日] Light-up

ここにきてからというものの、政治的な出来事にまだ遭遇していない。我が秘書が冗談に「日本鬼」とか南京大虐殺がどうとか口にするものの、他の人間が私に対して敵視する眼差しにも出あっていない。至極平和なのだ。揚子江の南は穀物に恵まれ、気候に恵まれ、だから戦って何かを獲得する必要としなかったのだろう・・・

Saturday, September 23, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・108日目] 秋彼岸の中日

・・・ここ中国にそんな風習はない。台湾では墓参りは四月の「清明節」と決まっている。もともと農暦が由来なので毎年日付は動く。しかし西暦が生活の元になってきた今、蒋介石総統の死去した日と重ねて四月五日に定めたそうだ。・・・

Friday, September 22, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・107日目] 健康らしい

元ボスの隣の部屋には、三十年来の知人の総顧問がおいでになる。「疲れた、疲れた」と口癖のようにつぶやいている。新しい事務所の電話番号と名刺をわたしにいったところ、「血色いいね!」と一言。この言葉は私にはうれしい限りだ。規則正しい生活をおくっているとはいえ、健康に注意していることもないし、体を動かしていることもない。それでも「血色いいね!」はありがたい。三ヶ月間の嵐のような一幕が終わり、幕間の退屈さに体も鈍りそうなもの、そうならないよう注意を怠らないことだ・・・

Thursday, September 21, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・106日目] 八月十五夜の紅包

新暦の十月六日は農暦の八月十五夜、家族や仲間が集まり、月を崇め美味しい食事を口にし月餅とお手当を配る日です。先週金曜日、こちらの呼び方で星期五、表の会長が新事務所を訪れ、社員一同に八月十五夜の紅包(hong2 bao1 ・お手当)を授けるという儀式がありました。会議室に三十人ほど集まり、簡単な挨拶と、赤い封筒を全員に配るのです。中には二百元、普通のスタッフにとって十分な額です・・・

Tuesday, September 12, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・97日目] たまには天気の話でも

廈門ではこのところ天気がぐずついている。ウェッブで天気図を見てみると、秋雨前線の西端が廈門沖に停滞している。この天気、十月一日の国慶節前まで続くという。いよいよ秋を迎えるわけだが、困ったことに衣服を用意していない。全て夏服。秋服はこちらで購入するか、一度帰国して用意するか、気に入ったものが見つかるなら買ってしまってもいい。こちらのブランドもので約1200元、二万円弱、かなり高価だ。日本との物価比率でみてみれば十万円もすることになる・・・

Monday, September 11, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・96日目] 中国式部下対応法

・・・中国人社会の人間関係も同様非常に興味深い。身近なところで我が秘書兼中国語教師を見てみよう。若く元気でおしゃべり好きなことはすでにお話ししたが、この一ヶ月で私はとても疲れてしまった。楽しさと勇気を与えてくれることに感謝するものの、彼女に申し訳ないが、安静と安慰はどんどん遠のいていってしまった。

Sunday, September 10, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・95日目] 新聞広告

うー、中国に滞在していると、会社勤めだと結構書けない部分ってある。書いてもいいものの、後が面倒くさくなりそうだし、まだまだこちらに滞在していたいし、会社の行く末も見てみたい。なぜならば、この会社、かなりの曰くがあるらしいから。どちらにしてもあまりいい評判ではない。それでもホテル開業は会社にとって一つの大きな出来事。グランドオープンの日には大きな新聞広告がうたれていた。夜のゴールデンエージのニュース番組で二分間オープンの記事が紹介されたらしい・・・

Saturday, September 09, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・94日目] ひとひとひと・・・

・・・食事の後、ホテルまでお送りし、いざ帰ろうとしたがいっこうにタクシーが捕まらない。ようやく拾えたと思ったら脇から女性がさっさと乗り込んでしまった。私たちすっごく待ってたの・・・。それでも見つけたタクシー、運ちゃんはしきりに通行止めでなんだらかんだらとまくし立てる。いいから走ってくれと。湖畔近くの我が家周辺はヒトヒトヒトの人並みで埋まっている。渋滞で動けないでいた車の窓からは、華やかな花火と金門島から砲弾が撃ち込まれたのではないかと思うような轟音が鳴り響いていた。

Friday, September 08, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・93日目] 男が泣くとき・・・

ホテル開幕式典前夜、私が模範としている台湾のGMがこちらにやってきた。一年ぶりの再会だ。同行したのは我が元ボスの弟。私が模範とするGMと元ボスの弟との再会。元ボスにとっても長い間不仲だった関係を修復したい思いがあったかもしれない。模範GMは私を元ボスに紹介してくれた間柄。三人は模範GMによって繋がっていた。元ボスも、模範GMを一つも二つも深い関係だと考えている。それにこのホテル建設をここまで引っ張ってくるまでの苦悩の十一ヶ月を伝えたかっただろう。元ボスと模範GMの再会は思いもかけない展開となった・・・

Wednesday, September 06, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・91日目] ホテル開幕式典手順

明日はホテル開幕式典の日。手順の内容を見ると、朝から晩までぎっしりと詰まったもの。あたしは疲れるし、客だって疲れるだろう。我がボスの客がいやがって別の日に訪問するといった意味がわかった。招待客を接待するのは仕事のうちだと我慢するものの、観光にまで同行するのはイヤだ。まあこれも経験のうちと割り切って参加してみるか。それにしても大会社というものは厄介なもの。長年勝手気ままに過ごしてきた人間には、結構堪える・・・

Tuesday, September 05, 2006

東アジアは「停看聴」:[廈門・90日目] EMSでDVD

・・・キョンニがDVD送りますよー、といってきてから僅か三日、実に迅速だ。それもまずマンションに届けたものの不在、どこから入手したのか私の携帯に連絡が入る。事務所に届けてくれるかというと、ハイヨ!と一つ返事。今朝事務所に着くとデスクの上にのっけられていた・・・

東アジアは「停看聴」:[廈門・89日目] 手料理を喰らう

・・・昨日の日曜日、かねてからの約束だった秘書兼中文教師の手料理会が行われた。彼女、しきりに料理の腕前を口にしていた。私と元運転手はいっこうに信用していない。で、昨日腕前が披露された。手際よく四品、テーブルにのせられた。味もそこそこ。彼女の知られざる一面を見たことになった。ありがとうさんでした。元運転手と二人、感謝でした。

東アジアは「停看聴」:[廈門・86日目] ラッフルズホテル

こちらの仕事場ではろくな事しか起きていない。覇権争い、権謀術策、「配下」という旧体制の組織形態、極度の家族意識などなど。脅しと侮べつ。配下の人間にとってこれほど怖ろしいことはない。一言で職を失う。どうにかなるさの私のような人間なら何ともないが、明日の生活がかかっているものは従うほかに手だてはない。そのような出来事を間近で見てきたので、最近は早めに仕事場を抜け出すようにしている・・・